02 - side C -

口角を上げて引き金を引いた。
消音銃で音がしないのは残念だったが、それでも胸まで響く発砲の痺れは心地の良い物だった。生暖かい返り血が頬を伝う感覚も、今だけは悪い物ではない。尾てい骨から駆け上がる興奮を奥歯を噛んでやり過ごした。
先ほどまで虚しく命乞いをしていた人物は、今ではただの肉隗に成り果て、背後にしていた白い壁をその血で汚している。だらりと垂れ下がった腕には、最後の砦として盾にしていたCD-ROMが虚しく握られていた。
「 If you hand me this date , do you think that your life is saved ? 」
(データを渡しさえすれば、命が助かると思ってた?)
反応があるはずも無い骸に問い掛けながら、発砲者はCD-ROMを取り上げる。彼の爪先に触れられた血溜まりは、静かにじわりとその範囲を広げた。
「 It is clever to think that you died , when I aim at you . 」
(俺に狙われた時点で死んだと思ったほうが利口だよ)
そういって心底楽しそうに笑ったその顔は、子供特有の無邪気な物だった。血に濡れたCD-ROMを持つ手も細く、血管が青く浮くほどに白い。そのまま華奢な体つきを辿れば、程無くして小作りな頭に辿り着いた。顔を覆うふわりとした金の猫毛は、窓から差し入る月明かりに照らされ、綺麗なリングを浮かび上がらせている。
しかし、その合間から見え隠れする瞳には、まったく人の体温が感じられなかった。
この世の混沌を、濃縮還元して貼り付けたような、深淵の灰色。それが殺人を面白がって歪み、三日月を真似た。
―― ドール。
どこか作り物のような完璧な容姿と、人とは思えぬはと残忍な仕事ぶりから、いつの間にかそんな通り名がこの少年の呼称となっていた。



真っ赤な林檎が、喧騒を纏うアスファルトを転がっていく。
 NY、五番街。都市の中の都市と呼ばれるこの街で、足早に歩く人々の間を面白いように すり抜け、鮮やかな赤の球体は意思を持ったようにスピードを増して行く。ルイ・ヴィトンの洗練されたロゴを横目に、ゴディバのチョコの茶色を反射し、途中黄色に赤のラインのタクシー、イエローキャブに追い抜かれ、英語表記のTAKASHIMAYAに差し掛かる。
…―― コツン。
一人の男の爪先にぶつかり、やっと林檎は動きを止めた。この街ではそう多くない東洋人を、自らの意思で選んだように。
 林檎にぶつかられた人物はゆっくりと目を瞬いた後で、これまたゆっくりと腰を折って林檎を拾い上げた。辺りを見回し、持ち主を探す。すると、此方に駆け寄ってくる子供を見つけた。たぶん、あれが持ち主だ。
「 Thanks ! 」
自らも数歩近寄って手渡してやると、花が咲いた様な笑みを見せた。それは一瞬の事で子供は直ぐに走り去ってしまったが、あまりに華やかな笑顔の所為で無意識に余計なことを考えた。外国のガキってのはみんなこんな感じなのか、と。白人特有の透ける様な白い肌、輝く金の髪。何処までも澄み切っているくせに、底が見えない深い湖のような、なんともいえない瞳の色。
 ドールも、あんな感じなのだろうか。酷く無邪気で残酷だと言う殺人鬼は、あんな天使の笑みを返り血に濡らすのだろうか。
「こんにちは。…佐藤さんですか?」
 入国審査からずっと英語を聞かされていた耳に、突如懐かしい響きが届いた。声のするほうに意識を戻すと、いつのまにか高島屋の前に男が立ち、こちらに向かってにこやかな笑みを浮かべていた。緩いウェーブの栗毛に、エメラルドの瞳が気障な男だ。その外見にはまったく似合っていないが、紡ぐ日本語は流暢そのものだ。
「失礼。お待たせしてしまいましたね」
「いや…アンタがアルベルトか」
佐藤が尋ねると、アルベルトはその笑顔のまま軽く会釈する。
「はい。こちらでの通訳や身の回りのお世話などをさせていただきます」
「…すまない。ちょっと待っててくれ」
サトウは踵を返すと、不思議そうにしているアルベルトを尻目に高島屋の店内へと足を向けた。豪勢なロココ調の店内から、一人の青年を見つけ出して近寄る。
「頭。先方がお出でです」
品のある店内で浮いているその青年は、ゴールドのネックレスをチラつかせながら振り返る。彼は日本人としても背が小さい。この街では、その姿が殊更小さく見えた。
「…はぁ? 買い物中だ。気ぃ利かせろよ」
佐藤を鼻で笑ってそう言いながらも、足早に売り場を後にする。気を利かせるも何も、アルベルトの到着を報告しないならしないで愚図だと罵られるのがオチだ。最近三代目を襲名したばかりのお坊ちゃんは、佐藤のやることなすこと気に食わないらしい。
 坂下大輔。二代目の死によって、自動的に三代目を襲名した男。自分に自信が無いからか、二代目に可愛がられていた佐藤を快く思っていない。佐藤もそれは承知の上だったが、大輔の為に命を投げ出す覚悟ぐらいはできていた。それが親父と慕った二代目の遺言だったからだ。
 すでに大輔とアルベルトは、並んで談笑を交わしている。NYの摩天楼をバックに、佐藤は小さく溜息を付いた。



 林檎は齧られた。真っ赤な薄皮と中に入っている白い身の対比は、殺人家業で見慣れた人間の肉と脂肪に似ていないことも無い。子供はそんな風に思って、ドールと呼ばれる所以の完璧な微笑をその桜色の頬に浮かべた。



 暴力団対策法。平成九年に改正され、指定された暴力団に今まで以上に厳しい監視の目が向けられることとなった。しかし、それで民間人が安全になるのか、と聞かれればはっきりYESとは言えない。 なぜなら、法改正後、力を無くした日本の暴力団に変わってアジア諸外国のマフィアが闇社会で着々と勢力を拡大しているからである。彼らは団体ではなく個人であることが多いため、暴力団改正法の威力は及ばない。むしろ、日本の暴力団の勢力減退で、闇社会で保たれていたある種の秩序が壊れてしまったのは確かなのである。
 佐藤が所属する坂下会も例外ではなかった。恐怖政治のみでは首が回らなくなった為、表向き合法な金融会社を立ち上げた。
今回、佐藤と大輔がアメリカに飛んだ理由もそこにある。
まだ新興の部類にありながらロックフェラーにオフィスを構える程になったアルベルトの会社から、出資を受けるための会談だ。
一介のビジネスマンの様な行動を如何な物かとも思ったが、今まで自分が経験していなかっただけで、この世界、政治家の先生方とも付き合いがあったりする。そして、そこで動く金は水商売のショバ代などで稼ぐ平時のシノギとは比べ物にならないほど大きなものだ。
こうしたことが今後の要になるのだと、組の管理部の連中に言われ、拳で動くタイプの自分には生き辛い社会になったと佐藤は思う。